堀越社員の社員による社員のためのブログ
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C.G.ユングによる赤の書

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外的なものから欲望が離れていくと、人は魂の場所に到達する。

だが、もしその者が魂を見いださないと、空虚の戦慄が襲ってきて、 不安が様々に揺れ動いて鞭を打ち、絶望的に求め、盲目的に欲望し、この世界の空疎な物事へと追い立てられる。

自分の限りない欲望に翻弄され、自分の魂から離れて見失ってしまい、二度と見つけることがない。

あらゆることを追い回し、強引に自分のものにするけれども、自分の魂を見つけることはない。

なぜならば魂は自分自身の内にしかないから。

なるほど自分の魂は物の中や、人間の中にあるかもしれないけれども、盲目の人は、物や人間はつかんでも、その中にある魂をつかむことはできない。

その人は自分の魂のことがわからない。

どのようにしたら魂を人々や物から区別できようか。

自分の魂は欲望自体の中に見いだすことができようが、欲望の対象の中にはない。

欲望に支配されるのではなくて、欲望を支配しているならば、自分の魂に片手をかけていることになる。

なぜならば自分の欲望は自分の魂のイメージであり、表現だからである。

ある物のイメージを持っているなら、その物の半分は既に所有していることになる。

世界のイメージは世界の半分である。

世界を所有していても、そのイメージを持っていない人は、世界を半分しか所有していない。

なぜならばその人の魂は貧しくて、財産がないから。

魂の富はイメージから成る。

世界のイメージを持つ人は、世界の半分を所有する。

それはたとえその人の人間性が貧しく、財産がなくてもである。

しかし飢えは、魂を獣にして、その獣は自らを害するものを呑み込み、自らその毒に落ちることになる。

私の友人たちよ、魂を養うことは賢明なことである。

さもなければ胸の内に竜と悪魔を育てることになる。

 

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